・シンプルライフを送る理由
・古市さんのミニマリスト論
・スマホ誕生前後の変化
おはーん、ペーパー先生です。
キャリーケース1つでホテル暮らしをしている先生は、ミニマリストに分類されるのだと思います。
目指してやっているわけではないので、「自分はミニマリストです!」と声高に言うことはないのですが、
物事をシンプルにしておきたい、ということはとても重視しているからです。
・机の上には不要なモノを置かない。
・着るものは曜日で決めておく。
・起床・就寝は同じ時間。
・資産運用は1つの商品。
・先々の予定をあれこれ入れない。
ざっと挙げてもこんな感じです。
まぁ、周囲からはこれで十分「変わった人」の烙印なわけですが、
すべてに共通しているのは「不要に頭を使わない」こと。
考えるって相当なパワーを要します。
一日の分量が決まってると思うんです。
格闘ゲームの体力ゲージのようなものですね。
ですので、
・机の書類の山から何かを探したり、
・今日は何を着ていくべきかで悩んだり、
・明日は何時に起きるべきかを検討したり、
・色々な金融商品に目移りしたり、
・スケジュールの調整に時間を要したり、
こうした一連の考え事をまとめて止めてしまおう!
「塵も積もれば山となる」で、山となったそれら時間やパワーを、
本当に必要なことに使おう。
それがシンプルに過ごしている理由です。
最近「なるほど」と思ったことがあります。
社会学者の古市憲寿(ふるいち・のりとし)さんが、週刊新潮の連載の中で、こんなことを言われていました。
総務省の「通信利用動向調査」によれば、2010年のスマートフォン保有率は9.7%だったが、2012年には49.5%、2015年には72.0%にまで上昇している。
かつては、「動画(テレビ)を観る」「写真を撮る」「音楽を聴く」というように、家電の機能は細分化され、用途ごとに製品を入手する必要があった。
それが今や大抵のことがスマートフォンで済んでしまう。家電に限らず、「応接間に鎮座したまま一生読まれることのない全集や辞書」など昭和の遺物もスマホは飲み込んでいく。
つまりスマホがなかった時代のミニマリストと、現代のミニマリストは全く生活スタイルが違うはずなのだ。昭和の時代、部屋に何も置いていなかったら、本当に何もできない。もともと「断捨離」がヨガ用語だったのも納得で、瞑想とミニマルな環境は相性がいい。
翻って、スマホありのミニマリストは、実は欲望と愛憎に塗れている可能性もある。SNSでエゴサーチをして一喜一憂したり、ゲームに尋常ではない額を課金しているかも知れない。「ミニマリスト」のスマホ画面に、無数のアプリが乱雑に並んでいたら、やはり違和感を抱いてしまう。
本当の意味でミニマルな生活を送りたいなら、スマホを含めたインターネットとも距離を置くべきだ。しかし現代社会でネットを手放すことは、中世でいう「出家」ほどのインパクトがあると思う。
【出典】本当のミニマリストになれるのは人気者だけ? スマホすらない生活をするためには(デイリー新潮)
2021年8月5日号掲載
たしかに、スマホ時代のミニマリストと、それ以前とでは敷居の高さや意味合いなどがだいぶ違いますよね。
先生の送っているシンプル生活も、スマホがあることで成り立っている部分が大きいです。
例えば学習が良い例ですね。
9月の受験に向けて、ファイナンシャル・プランニング技能検定 2級(FP2級)の勉強をやっていますが、
参考書を本で買うとかなりの厚さになります。
過去問やテキストなどを購入していくと、あっという間にブックエンドが必要になり、
そのうち本棚がないと机の上が平積みの本だらけ、ということになります。
音楽やカメラ、ビデオ、財布などなど、先生がミニマリストやホテル暮らしができるのも、
スマホという存在があればこそ、というのは本当にその通りです。
では、スマホすらなくした場合、今のホテル暮らしが成立するのかを考えてみましょう。
恐らく先生の場合は「する」と思います。
ただ、同じ生活水準を維持する場合、その弊害としてインプット量が減ることと、大量廃棄型の生活になると思います。
先ほどの書籍類。
購入して読んだら捨てる。
こうなると思います。
デジタルと違って「ストック」ができませんから、あらゆる消費行動が「フロー」に置き換わることになります。
ですので、環境にもお金にも優しくはありませんね。
つまり、スマホを捨てる場合は、モノ以外にも捨てたり諦めたりしていく必要があるわけです。
もう本当に世の中スマホ様様ですね。
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では、ごきげんよう。
昔は無くても大丈夫だったのに、今ではそれ無しでは過ごせない。これぞイノベーション。