・天才と変態は紙一重
・何かを得るには何かを捨てなければいけない
・人は何かをやり抜くと偏屈になる
ごきげんよう、ぺいぱです。
ぺいぱ、ぶっ壊れる(笑)今回はそんな話をやっていきます。
ぼくは資産形成を始めた2020年を境に、その前後で中身が大きく変わりました。Ver.2とでも言いましょうか。まったくの別人格だと言い切っても良いです。そのぐらい変化がありました。これは資産形成を始めるきっかけにもなったコロナ禍が大いに影響しています。人生観を変えたんですね。最終的に自分を守れるのはマスクでも在宅勤務でもなくお金なんだと思ったからです。
ぼくは舵を切るときは大胆にいく人です。過去にも
・いきなり貯金使い切って新型Macを買う(20代前半)
・いきなり社会人大学院に通い始める(20代後半)
・いきなり内覧した一軒目のマンションを買う(30代前半)
40歳を超えた2020年以降も、ブログ・YouTubeチャンネルを開設するとか、ホテル暮らしを始めるとか、早期退職するとか。自動車で言うなら急ハンドルすぎて横転してるぐらいの話です。ただし、こういう要所要所での突発的な行動を除けば、普段は左車線で一定の速度を保ってずっと安全運転するような人。それがぺいぱでした。
中身がVer.2になるというのは、もはや自動運転を通り越してアイアンマンスーツで空飛んでるぐらい概念が激変したことになります。人間が変わるということは「普通じゃない」ということでもあります。もう、周りから見ると相当尖った生活が出来上がりましたよと。今回はそんな話を具体的に6つの事例でご紹介していこうと思います。
現在、資産形成初期の方は将来の自分を想像することに役立つでしょうし、すでに資産形成で一定の富を築かれた方は、ご自身と比べて楽しんでいただけるのではないかと思います。ぜひ、最後までお付き合いください!
① モノ買うのを躊躇しがち
② 人付き合いから極端に距離を置きがち
③ 資産性を過度に意識しがち
④ 労働=搾取思考が強くなりがち
⑤ 資産額=自己評価になりがち
⑥ 投資していない人を見下しがち
資産形成をやり続けてぶっ壊れた価値観6選
では、さっそくいってみましょう!
ぼくは2021年3月に、自宅マンションの荷物をほとんど捨ててその後2年間ホテル暮らしをしていました。前年にフィジカル以外の不要なもの(無駄な支出全般)を処分してきましたので、次はフィジカルなところを、というわけです。
結果、キャリーケース1つで生活をしばらくしていたわけですが、そうした生活環境の変化を通じて2020年・21年は貯蓄率が6割となり、株式市場の好調さも相まって大きく金融資産を伸ばしたことは言うまでもありません。
掃除って手をつけるまでは億劫じゃないですか。ただ、やり始めるとそれが快感になって止まらなくなる。こんな経験、皆さんもありませんか? そしてその次に来る波は「この綺麗さを維持し続けたい」という欲求です。
モノを持たないためには、当たり前ですがモノを買わないことが重要。そのため、価格にかかわらずどんなものでも購入する際は相当悩むようになりました。これ、昔はそんなこと全然なかったんです。
当時は多くをネットショッピングしていましたから、迷うなら「とりあえず買っておく」こんな価値観だったわけです。それが今では真逆。先日も部屋ばきのサンダルがボロボロになってきたので、新調しようと色々なリアル店舗を周り、あまりピンと来るものがなかったのでAmazonでもしばらく悩み、結果購入したのは2,000円程度のい草仕様のサンダルでした。
こういう生活になると、無駄はないし、買って大きく外すこともなくなりましたが、一方でタイパ(時間効果)はすこぶる悪くなっています(笑)
購入までやたら時間がかかるようになったのは、買い物の場数が急激に減っていることも影響していると思います。年間で100回の買い物をする人と、5回しかしない人とでは、当然ながら自分に合ったアイテムを見分ける力、目利きや嗅覚は前者の方が養われていきます。
支出が減っていることで、モノを購入するときに求められる力が極端に低下している。それがこの数年のぺいぱです。
かつては仕事きっかけを中心にかなり多くの知り合いに囲まれて生活していました。食事やレジャーなど、よく行動を一緒にする人というのは、どこかしらの価値観が一致しているものです。それは趣味が同じとか、興味のある分野が似ているとかです。
もう1つ挙げておくのであれば、行動を共にすることで必然的にお金の価値観、つまりお金遣いも似た範囲に収まってくるということがあります。そりゃ、行く先々での支払いは多くのケースで割り勘になるでしょうし、会話と共にすることで行動パターンも似通っていきますから、つまりは支出構造も似ていくわけです。ぼくは10年ほど前まで貯蓄率ゼロの時代を過ごしていましたが、まさにこんな真っ只中にありました。
それが変わるきっかけは、強制的に懇親会や飲み会の類がストップした2020年のコロナ禍。ぼくはここで周囲の知人ネットワークが一時的に全遮断されたことで、何と言いましょうか、人に合わせて生きるというまやかしから覚めたんですね。
その後、現在に至るまで、ビジネス上でどうしても外せない会合以外、いわゆる懇親会の類は一切行かなくなりました。資産形成を始めた時期とも合致するため、そりゃ貯蓄率が向上するわけです。
そんな生活に慣れると、ぼくの元々の性格に加え、職場での管理職業務でうんざりしていたことも相まって、今度は逆に人と関わるのが加速度的に面倒になっていきました。
複数人で場を共にする際、ぼくは相手を立てることを最優先してしまうため、どんな場でも聞き役・回し役に徹することになります。お金出して、時間使って、気疲れして。一体何のためにやってんだ?となります(笑)
会社を早期退職した昨年末には、電話帳やLINEの登録も家族とほんの数名の知り合いを除いて全削除。会社員生活の管理職業務で心身ともに疲弊した原因に人があったりしますから、その20年分の反動が今どっと押し寄せています(笑)
そんなわけで、ぺいぱは過去と比べると相当相手を選ぶ偏屈な性格になっていると思います。
買い物で吟味しすぎる話を先ほどしましたが、お金を使うときに「その先に何があるか?」をすごく考えるようになりました。例えば先ほどのサンダルですと、今ぼくは部屋で過ごす時間が多いですから、2,000円で2年間ぐらいは快適に過ごせるようになると考えました。月に直すと80円ちょっと。これは使ってみて肌に合えば良い買い物ですね。
昨年の初め、家トレ用に可変式ダンベル&ベンチを11万円ほどで購入した際は、出不精なぼくがジム通いをせずに上半身・下半身を鍛えられるのであれば、それ以降はQOL向上に確実に寄与し続けるだろうと考えました。仮に3年間利用を続けた場合は月3,000円ほどになります。ジム通いするよりもタイパ・コスパ共に優れていると考えたわけです。
デパ地下のお惣菜を買う際も、値段はかなり高いものの、肉も魚も野菜もバランスよく質の良いものを摂ることができます。今日の身体は昨日食べたものでできている。すなわち健康で生活できる期間が将来的にも長くなるだろうと考えて、むしろ積極的に利用しています。
つまり、支出を通じて「何を得ることができるか」をよくよく考え抜くということです。これは資産運用でどんな商品を購入するかにもすごく似ています。全ての人は何らかのゴールに向けて元本を成長させることが狙いで商品選びをするからです。先ほどの、商品購入までの吟味が異常に長くなる話にも通じるところがあります。
この考えを持つこと自体はすごく良いことですが、行き過ぎると「この映画を2時間かけて観ると何が残るだろうか?」「あそこに出かける時間や手間で何が得られるだろうか?」などを都度都度考えてしまい、結局どれにも手を出さず日々何もしないで過ごしてしまう、なんてことになります。ぼくは現にこうなっています(笑)
「資産性を意識しすぎる」ことと「モノを買うのを躊躇しまくる」こととの組み合わせはもう最悪でして、下手すると何も動かせなくなってしまいます。得てして娯楽の分野は、リターンを求めすぎると手が出なくなります。映画やドラマ、ゲームなどは、その作品が自分の心に刺さると生きる活力や新しい知見などを爆発的に生み出しますが、そんな作品と出会う確率ってほんと低いからです。難しさでいけば個別株で一発当てることに等しいかもしれません。
インデックス投資で効率的な投資を極めてしまうと、こうした日常生活でのアクションの幅が極端に狭まることがありますので、ご注意ください。
資産形成において避けられない投資。多くの方が株式投資を通ることになると思いますが、これをやり始めてそれなりに大きな額を運用するようになると、「労働者」「資本家」「経営者」「投資家」という、構造を知ることになります。
「労働者」は自分の時間を切り売りして対価を得る。
「資本家」はお金を産む仕組みを作って対価を得る。
「経営者」はお金を産む仕組みを回すことで対価を得る。
「投資家」は資本家が作った仕組みに乗っかり対価を得る。
こんな感じです。
もちろん、資本家自らが労働に参加する場合も多いですし、投資家の立場から経営に参加する人もいますから、きっちり分かれているわけではありませんが、まぁ全体構造としてはこういうことになるでしょう。
以前は「労働者」の視点しか持っていなかったものが、株式投資を始めると「投資家」の視点を併せ持つことになります。言葉を選ばずいえば、お金さえあれば誰かが作ったお金を産む仕組みにタダ乗りできることを知るわけです。そしてこれを知ると急激に会社員でいることが色褪せていきます。
構造だけではありません。会社で仕事して得られる月給は30万円前後といったレンジが多いでしょう。一方で資産形成中の人たち、いわゆる資産形成ランナーの目指したい節目である1,000万円を株式投資に回していた場合、たった一日で3%上下するなんてことなんて日常茶飯事。つまり、運用資産が多くなるほど労働で得られる対価の重みが薄まる。これによって「労働者」の立場で居続けることが、搾取され続けていることだという考え方に寄っていくわけです。
無論、労働で得られるのはお金だけじゃない。そこで得られる学びや仲間、達成感や生き甲斐を得ているなんて意見もあるでしょう。でもやはりある程度の資産を運用で築いてしまうとそんなものが急速に色褪せて見える。それが現実です。だからこそ、日本でもFIREムーブメントが生まれているのだろうし、令和世代の若者は新入社員の時からその会社に身を置き続けるつもりがないのだと思います。
先ほど紹介した「資本家」「経営者」「投資家」になるにしても、まずは「労働者」を入り口にすることが多いでしょう。ぼくもそうでした。「労働者」は依然として圧倒的マジョリティな存在。この存在無くして日常が当たり前のように回るなんてことはありません。それなのにどうしても「労働者」は搾取されていると色眼鏡で見てしまう。
資産形成を極めていくとぼくのような偏見の塊が生まれます。
「ドラゴンクエスト」にはレベルがあるように、「ドラゴンボール」には戦闘力があるように、資産形成ランナーは資産額そのものが自身のポジションを確認する唯一無二の数字になりがちです。
人の価値はお金では決まらない、というのはまぁそうなんですが、お金の持つ価値は万国共通なので、やはり自分がどこまで資産形成をやり切ったかを知るには資産額が分かりやすいわけです。いまだに富裕層ピラミットだったり、他人の資産額だったりがSNSやYouTubeで話題の中心であり続けるのは、つまりそういうことです。
ぼくが資産形成を始める以前、人の評価というのは、
・勤務先
・役職
・年収
・住まい
・出身大学
こんなものが中心でした。最近ではSNSのフォロワー数とか保有資格とか特技などの方が先に立つかもしれません。
ぼくは資産形成を始めて5年ほど経ちますが、仕事でやっている内容よりは資産額で自分の頑張りを評価するようになったし、他の人がどのぐらいの金額をどう作っていったのかを知ることが貴重な学びにもなりました。こういうことからも資産額が自己評価をするための中心にあるわけです。
資産を築くということは、「稼ぐ・貯める・増やす」というサイクルを回し続ける必要があります。いつもご紹介する資産の方程式ですね。
<資産の方程式>
(収入 - 支出) + (資産 × 運用利回り)
フロー ストック
それをやり抜くためには、先ほど紹介した旧来のステータスは関係ありません。もちろんどんな仕事や生活をしているかで資産形成のスピードに差は出るでしょう。ただ結局は「努力と根性と勇気」の世界です。なんかジャンプ漫画の要素にも似ていますが(笑)
こうしたことからも、人の本質を見抜くには資産額が一番分かりやすい。自分の力で多くのお金を築いた人は「努力と根性と勇気」が間違いなくあるわけで、だからこそ自分自身の評価も保有資産額を最も重視しがちになります。結果が全て、なんて言葉がありますがまさにそう。プロセスも大事ですが、そういったものもすべて結果に内包されているのだと思います。
資産額で自己評価をすることには賛否あると思いますが、資産形成をしている人の多くは理解できる話なのではないでしょうか。
NISA制度を通じて資産運用に乗り出した方は確実に増えていますが、それでも実際に口座開設している人は日本の全人口の2割程度にとどまっています。そして、この数年の株式相場は大変好調でしたから、投資をした人・そうでない人との間で格差が生まれているというのは言わずもがなです。
こうなってくると、多くの含み益を得た人は「投資をやっていない人を哀れみ」、やっていない人はやっている人を「楽して稼いでズルい」と思う。今年のような軟調相場になると途端に、「ほれみたことか」「NISAは政府の陰謀」みたいな声が聞こえてくる始末。資産だけじゃなく心の溝も生まれているわけです。
地に足のついた資産形成ランナーの皆さんは、正直なところ、やっていない人を意識している暇もないでしょう。情報源になりがちなSNSやYouTubeは自分の関心のある話題が自動で集まってくるようになっていますから、資産形成を全力で取り組んでいる人の話しか耳にしないはずです。なので、そもそも投資をしていない人の存在が世の中から感覚的に消えている、なんてこともあるでしょう。ぼくもそうです。
ただ、こういう環境に身を置けば置くほど、将来の自分の身を守るために必要な、ごく当たり前のことを一切やっていない人の価値観が受け入れられない、信じられないという気持ちも大きくなります。なので普段から眼中に入っていなくても、心のどこかでは常に見下している。そんなことがあると思います。こうやって取り上げている以上、ぼくも間違いなく心の奥底でそう思っています。ほんとごめんなさい。
生活が厳しくて投資する余裕がない、なんて声があるのも承知です。生まれも育ちも差があるのも承知です。でもそれは、お金を働かせることを一切しない理由にはならないです。だって資産形成ランナーの皆さんも同じ条件だから。ま、投資に限りませんが、何かを一生懸命取り組んでいる人は、そうでない人を見下しがち。何かで成功した人をそうでない人が素直に賞賛しない。こういうのは人間のサガかもしれません。
おしらせ
キャラクター”ぺいぱ”がデザインされた「資産運用学園やわらか中学校」公式アイテムがついに販売開始!トイレットペーパーを模したキャラデザの由来は、古くなったお札が再利用されてトイレットペーパーになることや、ウン(運)がつく縁起ものだからなど、諸説あり。いずれのアイテムも日常使いできるシンプルデザインです!ぜひお買い求めください!

さいごに
今回は「資産形成をやり続けてぶっ壊れたぺいぱの価値観6選」について取り上げてきましたがいかがだったでしょうか?
① モノ買うのを躊躇しがち
② 人付き合いから極端に距離を置きがち
③ 資産性を過度に意識しがち
④ 労働=搾取思考が強くなりがち
⑤ 資産額=自己評価になりがち
⑥ 投資していない人を見下しがち
こうやって見ていくと「なんだかぼくは相当捻くれた人間に仕上がったなぁ」なんて思います。ま、それなりの資産規模は、その他大勢と同じことをしていては到達できませんから、日常生活において極端な行動は必然と増えていきます。
世の中の平均年収が460万円程度、40代の保有資産の中央値が単身世帯では47万円、二人以上世帯では220万円程度という世の中です。そこで数千万円を作るというのは並大抵の努力では難しい。
そりゃ5年も修行僧みたいな生き方をしていれば、人格は変わるわ歪むわとなるでしょう。「何かを得るには何かを捨てなければいけない」なんて言葉にも象徴されているように、資産形成で成功を掴むためには、それまでの自分を否定するところから始まりますから、ぼくに限らず価値観や人生観を大きく変えた人、多いのではないでしょうか?
今回は「資産形成」という視点から話を展開していきましたが、何かをやり切ると人が変わる、偏屈になるというのは、何もこの分野だけじゃありません。その対象が仕事だろうが趣味だろうが、とことんやり抜いた人というのは、やはりその他大勢とは違った個性を持っています。「天才と変態は紙一重」とも言い換えられますかね。
ま、別にぺいぱ自身の生き様を美化するつもりは全然ありません。だいぶ偏屈には仕上がりましたが、それでもぼくは世の中でモブキャラだと思ってますし、またそういう目立たない存在でゆるっと生きていきたい、ということもあります。この辺りのバランスというのはなかなか難しいものです。
今回の話、皆さんはどのように受け取られたでしょうか? 自分はこう思う、私はこうだったなど、たくさんのご意見・ご感想をお待ちしています!
最後の最後にサブチャンネルのお知らせ! 1年ほど前から「ぺいぱのひとりごと」という番組をやっていまして、原則、平日の朝7時からライブ配信しています。お金や仕事の話題を中心に、直近の出来事でぺいぱが興味のあるものを取り上げ、好き放題喋り倒すラジオみたいな内容です。通勤・通学のお供に最適だと思いますので、ぜひこちらもチェックしてみてください。
人生はノーコンティニュー!悔いのないようにやっていきましょう。
では、ごきげんよう。
資産形成をやり切るとそこに個性が生まれるのかもしれない。