・投資収益に対する否定的感情の背景とその理由
・その感情がもたらす個人や社会への影響
・投資で稼ぐ行為の合理性と社会的意義
ごきげんよう、ぺいぱです。
このブログの内容は動画でも解説しています。
投資でお金を稼ぐことに対し「ズルい」という声を耳にすることがあります。たとえば「働いて汗水流す収入こそ正当で、投資で簡単に利益を得るなんて不公平」といったような意見です。しかし投資とは、自らの資本を提供し、リスクを引き受け、その結果としてリターンを得る、まさに合理的な経済活動です。それにも関わらずなぜこうした印象を持たれるのか。それは個人投資家という存在が日本ではマイノリティだからというのが1つの見方です。
日本の家計金融資産(2023年3月末時点)はおよそ2,056兆円。そのうち50%以上が「現金・預金」です。一方で「株式等・投資信託」の割合は合計およそ15%。米国の家計金融資産はその対極にあり、「現金・預金」がおよそ13%ある一方「株式等・投資信託」の割合は51%ほど。結果として日米の家計金融資産の推移をみると、その差は拡大傾向にあります。
これはまさに株式等や投資信託の価格が近年上昇傾向にあるためであり、当然ながら、米国の家計金融資産の拡大ペースが日本よりも早くなった結果です。インフレに対抗し、大切な資産を守り・育てていくためにも、株式や投資信託などインフレ環境と相性のいい資産の活用を考えていく必要があることがここからも良く分かります。
つまり「投資は楽している」「株で儲けるのは悪」みたいな考え方に固執してしまうと、いつまで経っても貧しいまま、むしろその貧しさが加速をしていくわけです。
今回は、そんな「投資は悪」という感情がそもそもどこから生まれるのか、またそれが社会や個人にどんな影響を与えるのか、そして実際に投資で稼ぐことは本当に悪なのか。これらについて皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
どんな人が「投資で稼ぐのは悪い」と感じるのか?
まずは、実際にどのような理由で投資に対しての嫌悪感を持たれているのか。ここから考えていきたいと思います。
<価値観の違い>
日本人は諸外国と比べても特に「労働して得る収入こそ正しい」という特有の美学が根強い。肉体的・精神的苦労を伴う労働収入から見た場合、知的活動とも言える株式投資などから得る収益は「楽すぎる」という印象が生まれているものと考えられる。
<経済的不安・格差意識>
低収入や不安定な生活環境にいる人は、資産的にも意識的にも投資する余裕が無く、格差拡大に強く不満を持つため、「投資で稼ぐなんて自分には縁がない」と受け取る結果として、投資収益を不当な利益と見なす傾向がある。
<無知や誤解によるもの>
投資の仕組みやリスク管理の努力が十分に理解されておらず、単に「運」や「偶然」でお金が増えると誤解されていることが、否定的感情の根底にあると考えられる。行動している人とそうでない人との知識差が、嫉妬や不公平感を生む原因となっている。
ぼくが実際、通算10年ほどの投資経験を踏まえて、投資に一切の関心を寄せない人、関心はあるけど行動に踏み出さない人などと接してきたものを明文化すると、このような形になります。もちろん投資をしない人全てが、投資に嫌悪感を持っているわけではありませんが、こうした意識が一部に存在するということを入り口に次の項目へ進みたいと思います。
投資に嫌悪感を抱く人がいることでどんな課題が生まれるのか?
投資に嫌悪感を持っていたとしても、それはあくまで個人の問題であり、そこまで深刻に捉える必要はないのかもしれません。ぼくも実際に気にしないで生きてきた一人です。ただ、あえて課題を挙げていくとこのようなものがあるのではないでしょうか。
<社会的対立と分断>
「投資で稼ぐ人=悪」といったレッテルは、経済的格差や不公平感を一層助長し、社会の分断を深める恐れがある。また、この偏見が固定化すると、金融リテラシー向上や資産形成への取り組みが阻害され、将来的な経済成長にも悪影響を及ぼす。
<投資へのハードル>
投資に対するネガティブなイメージが広まると、投資を始めるハードルが上がり、結果として多くの人が資産形成に踏み出せなくなる。人間は新しいチャレンジをする際「やらない理由を探しがちな生き物」でもあり、これを助長させてしまう。
<経済全体への影響>
もし、投資が「楽してズルい」と否定され続ければ、資本市場への参加者が低下していき、その結果として企業への資金供給も滞り、長期的には経済成長が鈍化するというリスクも孕んでいる。NISAではすでに海外資産への資金流失が顕在化している。
自分一人のことを考えれば、気にしないで生きていくことで良いのだと思いますが、日本が将来的に資産運用立国を本当に目指すのであれば、やはり正しい知識を広げていくことが重要になります。政府がここを本気で考えているようにはあまり思えませんので、ぼくもかなり微力ながらこうした情報発信活動を通じて一助になれればと思います。
そもそも本当に「投資でお金儲けは悪」なのか?
投資で稼ぐことに対して否定的な感情を持つ背景には、労働と投資という異なる属性を持つ収入源に対する理解不足や、格差意識、そして情報の不均衡が大きく関わっていることが見えてきましたが、ここからは投資での収益の本質を再確認していきましょう。
<投資はリスクとリターンの合理的な交換>
投資は、投資家が資本を提供しリスクを引き受けることで、正当なリターンを得る行為。株式投資であれば、企業の成長や配当金、債券であれば金利収入というように、労働収入と同様、努力やリスク管理が伴う。
<他の収入方法との公平性>
労働収入には、その時の労働市場、経済環境のほか、採用基準やトレンド、運や偶然までもが影響する。投資収入を得る場合もまた同じであり、どちらか一方だけが特別に不公平だとは言えない。いづれも「与えられたカード」で戦うゲーム。
<投資の社会的意義>
投資は、資源の効率的配分を促し、企業の成長や経済の活性化に大いに寄与する。さらに、投資を通じて得た知識やスキルは、個人のキャリアアップや仕事での意思決定にも役立ち、社会全体の発展に貢献することにもつながる。
投資で稼ぐことの根底には、現代経済におけるリスクとリターンの合理的な交換という事実があります。すでに投資をされている皆さんも、それを通じて得られる知識や経験が、自分自身の成長や未来への備えとなっていることでしょう。
ぼく自身も投資を通じて失敗から学ぶことで、結果的に自己成長やより多くの選択肢を得ることにつながりました。これは「投資をしていなかった自分」と「している自分」が存在しているからこそ、胸を張って言える事実であり、まずは双方を経験した上で判断をすることが重要です。「百聞は一見にしかず」です。
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投資は複数メリットを得られる推し活
今回は「投資でお金を稼ぐことは悪なのか?」というテーマについて、否定的な感情の背景やその影響、そして投資行為の合理性を検証してきました。まとめるこんなところでしょうか。
・「投資でお金儲けはズルい」という感情は、労働と投資という異なる属性の収入源に対する誤解や嫉妬、経済的不安などから生まれている。
・この感情がもたらす課題は、社会の分断、金融リテラシーの低下、経済成長への悪影響など多岐にわたるため、放置をするのは良くない。
・投資はリスクとリターンの合理的な交換であり、正しい知識と努力に基づく正当な対価。やったことがない人は羨ましがるよりもまず少額からでもやってみることが大事。
・投資を通じた学びは、資産運用の中だけでなく、自己成長やキャリアアップ、会社での仕事や社会全体の資本循環にも寄与している。
そもそも人間は生きていくため、食べていくために、お金を稼がなければいけません。原始時代に置き換えれば狩りをすることと同義です。生きるために必要なことはルール(法律)の範囲内であればどんなことをしたってやる。そういうマインドが必要です。
それがバイトだろうが派遣だろうが必要ならやる。それで足りないなら給与水準の高い業界に身を投じる。労働収入以外にもフローを作るために投資で稼ぐ。一体これの何が悪いのか。ぼくは正直そう思います。だってお金は必要だから。そもそも投資に限らず日本人は「稼ぐ」という行為に対して偏見がありすぎなのではないでしょうか。
皆さんも、好きなお菓子、好きなゲーム、好きなアイドルを追いかけることがあると思います。「推し活」なんて言葉もあるぐらいです。そういう意味では投資も推し活の側面があります。ぼくは「eMAXIS Slim 全世界株式(オール・カントリー)」を4,000万円分ほど保有していますが、この商品や世界経済の成長を全力で推せないと、こんな行動は取れません。
推したことで得られることが、金銭的なメリットなのか、精神的なメリットなのかの違いです。ちなみに投資の場合は両方を得られます。
なお、置かれている環境は千差万別。今回話した内容はあくまでぼくの見解ですから、最終的なご判断はご自身でお願いします。
皆さんも、もしこのテーマについてご意見や体験談があれば、ぜひコメント欄で共有をお願いします!ご一緒により良い金融リテラシーと健全な投資マインドを広げていきましょう。
人生はノーコンティニュー!悔いのないようにやっていきましょう。
では、ごきげんよう。
投資は推し活。